日曜ブログの93回目。
最近目がかすんで良く見えなくて困っていました。
コンタクトの度数が合わなくなっているのかもしれないと思い、
眼科に行きました。
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左右を間違ってつけていただけでした
正しく付ける事でくっきりさっぱり見えるようになりましたとさ。
それも老化だなあ
お茶目だなあ。
さて本題。
「何年やっても一年生」について
私の好きな言葉は「ありがとう」
嫌いな言葉は「当たり前」
「そんなの親としてやって当たり前。
お父さんの時代の当たり前と
今の時代の当たり前は違う。」
と先日、息子に主張されました。
(自我の芽生えです)
そこで私は言いました。
「時代なんか関係ない。
ヨソはヨソ、うちはうち。
当たり前を主張するやつには何もしない」
勉強出来るのも、塾行けるのも、
洗濯、掃除、食事出来るのも
当たり前じゃないのに
反抗期なのと周囲の友達を見てそう言いたくなったのでしょう。
きっと彼らは恵まれすぎているのでしょう。
自分は貧乏だったので親の苦労を気にして
不満はあってもそんな言葉を口にすることはありませんでした。
稀に外食に行っても一番安いメニューを頼んでいました、
チキンライスの歌詞の気持ちが本当によくわかります。
もとい、
人間っていうのは恵まれたいとは思うものの
恵まれた時にはもう当たり前になってしまって
恵まれすぎていると人間性が腐っていくものなんだと思います。
ちょっと恵まれていないぐらいが丁度いいのでしょうね。
腹八分目理論です。
トマトを育てるのも同じでギリギリの水分で育てるからこそ
味が濃くて美味しいものが出来るわけです。
水っぽいブヨブヨのトマトを量産する世の中じゃ
いつまでたっても老害だの既得権益だの
言うものの実力が伴わないままで終わってしまいます。
「欲しがりません、勝つまでは」
という言葉がありますけど
「与えません、一生懸命やるまでは」
という言葉を親目線や経営者の視点では
持つようにしています。もちろん自分自身にも同様に。
なぜなら一生懸命になっている過程こそが
人間性を磨く最高の方法だと思うからです。
「魚の釣り方を教える親」と
「魚を与えて食べさせるだけの親」。
社会に出たときにどちらの親の元で
育った子供の方がたくましく生き抜くことが
出来るのかなんて云わずもがな。
冷たいだの鬼だの言わせたい人には言わせておけばいいのです。
「笑いたいやつらには笑わせておけばいいさ」と
30年も前にFIELD OF VIEWも言っています。
社員に対して思うことも同じです。
社員の幸せ、成長を願うというのは
経営者としてとても大事なことですが
社員の一生懸命や本気が欠如しているなら話は違います。
「心理的安全性」という言葉が独り歩きしてしまって
ゆるくなってしまい、熱量を失い、経営者の意思が伝わらなくなり
機能不全になった会社をいくつも見てきました。
幹部が心理的安全性の名のもとに
「優しいだけの上司」になってしまい、
さらに優しいだけの上司に感化された社員が
それぞれの心理的安全性の為に会社があるかのような
働き方をするようになるのです。
そうなってしまうと
起業した時の使命や熱量なんてどこへやら。
誰の問題解決もしない、誰も成長しない
ただの「自己満足」の会社になり、
顧客から見放され、一気に淘汰の道を辿ります。
自分がいわゆる役職上位者になればなるほど
厳しく当たるのは
「優しいだけの上司」になって欲しくないからです。
過去の実績や経験がいくらあろうが
今「本気」をみせられない上司は不要
なのです。
「中学生の時より頑張っている」
そう息子が主張したとします。
「そら高校生なんだからな」
と私は思いますし本気だとは思いません。
「このままだと社会に出た時に困るぞ
その時に選択肢が少なくて後悔する事になるよ」
とは言いますが、本人に響いているかどうかは分かりません。
会社においては
「社長、私は頑張っています」
と社員が主張したとします。
「そら去年よりはな」
と私は思います。
そして本気だとは思いません。
学生時代は勝手に進級しますが
社会に出たら自主的に自己研鑽しない限りは進級しないので
「何年やっても一年生は一年生」
という現象が起こります。
とはいえ
「私は頑張っている」と言う社員は出てくるので
はっきり言うようにしています。
「わかる、頑張っているのは。
ただ去年と全く同じぐらいでは困るな」
とね。
最近身近の方の訃報を聞いたり、
大病を患った等の機会が最近多く、
人生は本当に短く儚いものだと痛感しています。
あの人やこの人が生きたくても
生きられなかった一日を生きていると思うと
「心残り」のない人生にしていきたいと思うのです。
少なくともうちの会社で働く人たちは
自分や関わる人達の「可能性を最大化する」という事を
約束した人達のはずなので
自己満足だけでしかない「俺は頑張っている」については
評価は絶対出来ないですし、日頃からもしないと言っています。
誰に指図されるわけでもなく
自分の意思で進級しないと
最高の達成感を掴みとれないので
自分で決めて、覚悟を決めて行動して欲しいのです。
自問自答してみましょう。
「なにしてんの」って。
やりたい事やって 暮らしてるなんて言って 実は
やれる事だけ やってただけでしょう
(ってSURFACEさんも言っています。)
まあ今回、
何が言いたいかっていうと
「仕事と自己研鑽は同時に
頑張らないと進級出来ないよ」
ってこと。
自己研鑽ってのは挑戦がともなうものであるという事
そして全く失敗しないで成功できる人はいません。
失敗するのは恥ずかしい事ではありますが
恥をかかないようにしているのが本当は一番恥ずかしいのです。
だから恥をかかないレベルで頑張っているって言う人の言葉は
信じません。だってやれる事だけやっているだけですから。
そして今通用していても、近い将来確実に通用しなくなります。
積み重ねた努力の先、
それでも70%以上の会社が3年以内に倒産する時代です。
プロである限り、
毎年進級するのは最低限のエチケットであり
自分の仕事に誇りを持てる方法。
これは間違いない。
口先だけじゃ何も変えられません。
今日はこのへんで。
ではでは。